2022年3月、ティモシーズ株式会社を立ち上げた松田知樹社長。設立の裏側にあった想いとは?歩んできた歴史には一体どんな体験があったのか。体験に潜む苦悩と現実、出逢った方々とともに目指す未来に何を描いているのか、語っていただきました。
もともと目先のことを大切に一生懸命取り組む考えが強かったので、こうなりたいという大きな想いはなかったと思います。ただ未来を見据えたときにIT業界の発展は視野に入れていました。
広告代理店ではWEBディレクターを経験してきたのですが、受託のお仕事ばかり、制作しては納品しての繰り返しでした。自社製品を持つメーカーに憧れ、自分たちの製品を売るために仕事がしていきたいという思いが強くなっていきました。そして、29歳で電子系ソフトウエアベンダーにヘッドハンティングしていただき転職し、そこで取締役に就任しました。
そして「自らのスキルシェアリングがしたい」と考えティモシーズを設立しました。実はここ数年ありがたいことに所属企業以外の方々からも「社外取締役やアドバイザーをやってほしい」というお声がけを、いただくことが増えていたのですが、前職ではそのご要望をお受けすることができませんでした。自分のスキルを求められている方々にお届けするには「フリーになるしかない」と思い今に至ります。
経営側に立つことで、すべて自分次第というのを強く感じました。また、経営とは自分と違うタイプが必要なのだとも思いました。この考え方は、当初読んだ大学教授の本の中で語られたベンチャー企業について書かれた一説にもつながっています。組織は「ファウンダー/No2/マネジメント」の領域の黄金比で成り立っていて、成長期において引き出しをたくさん持つことが重要というものです。
しかしながら、同時に組織の採用課題にも直面しました。企業の採用時には、多くの会社で「会社を辞めた理由、転職回数など」を重視して判断されています。つまり、数々のチャレンジを繰り返し得た成長という引き出しが、評価されない仕組みになっていたのです。学歴や転職などの背景には家庭環境など、自分自身では変えられないこともあったり、アンラッキーな人も世の中にはたくさんいます。人を判断する基準に違和感を覚えました。
実は、私の生い立ちは少し複雑で、家族間で対立がある中育ちました。大学進学を前に祖父が倒れ、家業を継ぐ人は私以外におらず、高校卒業と同時に祖父の会社に入りました。家は裕福だったため、エリートに見られることが多いのですが、ストレートな学歴ではないのです。専門学校で学びなおし、そして大学に進学しました。小さい頃に行ったニューヨークに憧れを持ち、高校時代から海外に行きたいと思っていましたがすぐには叶わなかった。でも、さまざまな経験を重ね今では関西をベースに海外でもお仕事をさせていただいています。経験は後からついてくるんですよね。無駄なことは何一つないと思っています。
でも一方で、社会に出ると学歴や家庭環境、特性など“見えている事実(外見)”だけで判断されてしまいます。自分自身ではどうしようもないことで判断されるのです。でも、人は見えないところにキラリと光るものがあります。だから、コミュニケーションから人となりを知ることを大切にしています。まだ隠れている人の良いところを見たいという想いは強いですね。
私は役員の賞味期限は10年で、自分より優秀な人をいかに採用できるかが企業存続のカギを握ると考えています。そのため、前職で役員をしながら、ともに働く仲間たちに自分を追い抜いてほしいと常に考えていました。「社長の器以上に企業は大きくならない」と言われるように「自分の器(=見える範囲)で安心を得る人」にはなりたくなかったんですね。中小企業に勤めると社長や上司に気に入られるか否か、加点ではなく減点方式で評価されることが多くあります。しかしながら、働き方や環境も選択肢が増え時間や場所を選ばず仕事ができるようになった現代において、人のパフォーマンスが最も上がるのは人それぞれです。もちろんオンラインではなく、出社した方がスキルアップできると考えるなど、人それぞれだとは思います。ただ、役員やマネージャーが目の前でメンバーが仕事をしていないと状況が見えず不安になったからといって、選択肢を奪うのは違うと思っています。
経営をいかに存続していくのか、事業継承は大きな課題だと思います、大手企業とお仕事することも多いのですが、特に中小企業は経営者次第だと私は考えています。
変化の激しい時代の中で、アンテナが高い20代や30代とともに、経営者がどう変化していくのかがカギを握ります。自ら学ぶために時間とお金を使う若い社員に対して、しがみつき成長を押し付けるのではなく、働く人たちに選択肢を作るのが役割ではないでしょうか。優秀と呼ばれる経営者でも、任せられないがゆえにマイクロマネジメントをし続け人の成長を止める。結果として後継者を育てられない状況が起きているのが、日本企業の課題でもあると思います。私自身は、任せたのは自分であり責任を取ることが仕事だと考え、組織としての方針を明確に指し示すことが大切だと考えています。
代表理事をされている樫村さんとは、もともと15年以上のお付き合いがありました。
「組織は人なり」とずっと考えてきたので、人事など人の課題を組織の枠を超えて学べる会があるのはとても素敵だと感じました。ずっと組織づくりに携わってきた私としては迷わずコミットすることにしました。
現在人事塾は10周年の節目に入り8,000人もの方々が関わってくださるコミュニティーになりました。
東京がメインの活動になっていますが、所属しておられるメンバーは全国各地におられます。そのため各地域ごとに分科会を開催したいと考えています。皆さんと活動する中で、地域ごとに人事課題が違うこともわかりました。ただセミナーで学ぶだけでなく、参加者同士が学びを深める環境をつくり横のつながりを強化したいと考えています。所属はバラバラですが、それぞれの課題を持ち寄ってシェアしてみんなで考えることで、自分ごと化できるようになっていきます。自分で課題を持ち寄り、より現実に即した課題解決への近道をグローバル人事塾で提供することができれば、それぞれの組織の活性化につながると思います。
少子高齢化を迎えた今、自分が主体的に動きライフデザインを自ら描けないと生き残れない時代になったと思います。
実は、組織は人を削減しても回るのです。終身雇用制度は崩壊し、どこかにぶら下がって定年を迎える時代ではありません。だからと言って、それを誰でもすぐにできるわけではないですから、自分自身の想いの中でいつでも動ける準備を、一人ひとりがする…個の力を強くしていくことが大切だと考えています。そして組織は、キャリアオーナーシップを持って主体的に生きる人をサポートする、結果として個の力が引き出され日本の生産性を上げていくことができたらいいですね。
自社を大きくするというより、関わる企業や人の活躍ご支援を続けていきたいと考えています。その先にどんな変化があるかはわかりません。
ただ、事業開発コンサルタントとして関わってくる中で、経営者が変わることの難しさも感じています。困難を乗り越え成功体験を持たれながら10年、20年会社を営まれてこられた背景があります。そこから生まれた社長と社員の認識や想いに乖離ができているのも現状です。
だからこそ、変えたいのであれば、どうしたいかを確認し手段を提案する、ピボットを大切にしています。うまくいかなければ固執せず、手段を変えていくという両輪の考え方をもってこれからもクライアント様と向き合っていきたいと思います。
photo by 岸本將裕
今回インタビューさせていただく中で感じたのは「松田社長の人に対する愛情の深さ」と「関わる人に対する覚悟」です。
自らの体験の中で得てこられた“変えられること”と、“変えられないこと”の棲み分け。
固定概念を理解しながらも、その概念に固執することなく人の可能性を信じて、その可能性を活かせる環境作りへの想いを強く感じました。
松田社長、ありがとうございました。
株式会社TWINKLE STARS 松川 倫子